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力強い魅力的音色のViolla
2009.02.02

 このところ無沙汰にしていた従兄弟から写メールが届いた。某かの挨拶文と弦楽器の写真である。

「これの音を聴かせたい。!」

 彼は音楽家で、東京の一流交響楽団の首席ヴィオラ奏者を務めている。
私の家系は、戦中から戦後にかけて兄弟姉妹の多かった世代の中で、その数は少なかった。従って従兄
弟姉妹達も少人数である。それ故にその関係は、一般的よりかなり濃ったかなと思っている。彼は仲の良
い三人姉兄弟の末弟であるが、そのような訳で、兄貴分になる私とも姉兄に近い程の交流を持って今日ま
で来ている。
 昨年、音楽的にも多大の理解者であった本当に仲の良かった建築家の兄を亡くし、悲嘆にくれていた。
その気持ちが癒されない渦中に、それを紛わせてくれる為に現れたようなこのヴィオラを手にいれることに
なったと云う。兄の葬儀に切々と唄い上げた鎮魂のメロディー。それを弾いたヴィオラも良い音を紡ぎ出す
楽器であったと思っている。この一本はそれをも遙かに凌駕する力量を持っているのだと後に伝えてきた。
亡き兄にもに本当に聴かせたかったと思っている程の音色らしい。
 芸術でジャンルの違う世界にいる私も、音楽は大好きである。従弟もそれをよく知っていて、兄と分かち
あえない寂寥感を払拭すべく私に寄せて来たのかなとも思っている。
まあ、何でもいい、兎に角嬉しかった。
 かつて、高名なチェリスト、ロストロポーヴィチ氏が日本公演のおり、京都の定宿「炭屋旅館」の主人に、夜
彼の音楽ルームでお世話になったお礼にと演奏会を開いてくれたと云うことを、何かに寄せていたのを読
んだことがあった。条件こそ違いはあれど私にとって光栄なことである。
 一人では勿体ないなと思いながら、けれども、彼が現れる日は、彼にとって時間的に充分な中にあるわけ
ではなく、こちらの思い入れで勝手な事をしてはすまないと思いつつ、私が主宰している工芸教室の日で
あったので、当日の生徒さんに急遽お知らせをし、教室を休講とし、いわゆる音楽会ではなかったが彼の紡
ぎ出す音を分かち合うことにしたのである。彼の了解を得るべく、連絡をとると、いとも簡単に「了解!」と返
事がきた。
 そして彼が現れた。「駅まで迎えに来てくれるって云ってたけど、歩いてきちゃったよ」 「街が変わってたし、
やはり間違えちゃった」「途中の煎餅屋で途聞きたどりついたよ」と早口で一気に喋る。明るいいつもの調
子である。かのヴィオラをしっかりと胸に抱いてやって来た。

  ヴィオラと云う楽器については、従兄弟がその専門家になるまでは、私の中では楽器そのものについて
の知識は殆ど刻まれてはいなかった。室内楽(特に弦楽四重奏)が好きで、ハイドンからショスターコーヴィ
ッチまで幅広く親しんできた。音楽のなかで重要な位置を占める和声と云う次元で、この種の楽器が如何
に重要な役割を演じてきたかは識ってはいた。特に弦楽四重奏と云うジャンルにおいては。
一種華やかなテーマを歌い上げる派手な演出にその身を委ねる事の出来るヴァイオリン。静ではあるが、
琴線にふれる存在感ある旋律を唄うことの出来るチェロ。しかし、そのヴァイオリンとチェロとをしっかりと
結び付けて、和声の楽しさを充分に伝えきるのが、静かな役割をもつヴィオラである。ときとしてその存在
を忘れがちになるのであるが、あるなしで、音楽の濃さが全く違うのである。音楽家ではないので、専門的
分析は出来ないが、感覚的に云うとなのである。
 ヴァイオリン属がその地位を確立するまでの、比較的短い期間弦楽器の世界はヴィオール属、リュート
属が主流であったが、特にヴィオール属弦楽器はバロック時代の終焉と共にその役割を終えていった。
音楽の構成が時代と共に複雑、高度になって行き、ヴァイオリンとチェロはその中で独奏楽器としての地
位を確立していった。
 当初、チェロとオクターブ違いの調整で弦楽合奏の主たるところを受け持っていたと思われる高中域部
弦楽器ヴィオラ。しかし、華やかな高音域を持った小振りの個体がヴァイオリンとして5度高い調整をもっ
て独立して行き、大振りのチェロとオクターブ違いの調整のものがヴィオラとして残り、和声の重要な担い手
となったのである。音色も静で鈍く渋いというのが一般的評価となった。
従って、活躍する場所は、アンサンブルの世界に集約されて行き、当然のごとくその製作本数もヴァイオリ
ンと比較すると少なかったと云うことになる。しかるに独奏で聴衆を引き込める名器も少ないと云えるのだ。

 拙宅は、築100年になろうとする昔ながらの民家である。小さい頃、従兄弟もよく叔父夫妻に連れられて
遊びに来た。都内のコンクリートのマンション住まいが永くなって、歳とともにノスタルジックな感性が増強し
てきているのだろうか、しきりと屋敷周りを眺めては、「この感性が何とも良いんだよなー」と独り言を云う。
「ま、お上がりよ」といって、茶の間に招じ入れ、無沙汰を詫びながら、昼飯までの間、今世間を騒がせてい
る諸々の話題に花を咲かせた。「ところでねっ」と突然、持参のバッグから何やら嬉しそうな顔をして、紙包
を取り出した。精巧な電車の模型である。そう言えば、叔父上がまだまだ元気でおいでの時、「あれは、そ
れをやっているときは、何時間でも静にしているんだ」と云っていたのを思い出した。
私達のように芸術活動を本業にしていると、好きなこととはいえ、いつでも楽しいかと云えばそうではない。
従兄弟のように、明るい性格の持ち主であってもそれは同じ事と思う。彼の場合は、ストレスやフラストレー
ションの回避術としてそれを自然に利用している。話しが進んで行くと、一部屋一杯彼の寝所のぐるりを電
車ジオラマが取り囲んでいることが分かった。眠る時はこれを眺めながらなのだそうだ。
 持参してきた模型について、こと細かに説明をしてくれる。門外漢の私にこれは何とかゲージとか縮尺は
何分の一とか、何とかというファンクションで煙りも出るし、ライトも点くのだとか。多分、何日でも飽きずに楽
しく喋っていられると思ったし、これが彼の元気の源なのだと思った。
 カミさんが用意した昼飯を、私が制作した椀類で心ばかりの持てなしをした。

 大凡2年前まで、父が隠居所として使っていた離れ屋が空いているのでそこで披露して貰うことにした。
8畳二間を抜いて、早朝から暖をとっておいた。しばらく使用していなかったことと、建築好きの爺様の好み
で、昔の建物であるが、天井がとても高いのである。所謂、ヘッドクリアランスは良いのだが、寒くて適わな
い。楽器にとって良い環境なのかどうか分からないままでいるうちに、教室の生徒が集まってきた。
 軽く紹介をしたあと、演奏に入って貰うことになった。少し、室温を上げ過ぎてしまったらしく、調整の為に
自分で障子を開けたり、閉じたりとなかなかこまめである。考えてみれば、とても高価な代物なのだから、当
然といえばのことである。おもむろにケースを開いた。姿を見せたアイテムは堂々とした違丈夫でる。
いままで、記憶にあるヴィオラとは明らかに違う。大きく厚い。
 古楽器だから水分の含水率は10%前後、湿度40%位の環境で演奏するのがBESTと考えられているから、
冬場の環境は決してよいものでは無い。だからとても気を使っていたのだ。
「皆さんに少し馴染みはありませんが、コレルリから入ります」といいつゝ、チューニングを始めた。一泊置い
て曲に入った。良い音であると思った。少しの間彼には申し訳けないが、前の楽器とそれ程と、と思いなが
ら聞き続けた。半分位に差し掛かったあたりから、何かぞくぞくする程の音色に変わり始めたのである。
楽器が環境に馴染んできたのである。後はどんどん鳴り始めた。バロック音楽だから、ダイナミズムはそれ
程要求されない、いかにも軽々と弾き終えた。ヴィオラとは思えないほどのびやかな高音である、いよいよ
この楽器が本領を見せ始めて来た。
 「シチリアーノ」(フォーレ作曲)、「白鳥」(サン=サーンス作曲)など、なじみの小品数曲を次々と弾いてくれ
ている間に、改めてこれはヴィオラによって弾かれているのだと思いを新たにした。それだけ明るくのびや
かに 浪々と鳴っている。明るい音色であっても絶対的に軽々なものでは決してなく実に品がある。彼が 「こ
れの 音を聴かせたい!」と云って来たのがよく分かった。

 「弾いていて、この環境はどうよ?」というと 「最高だね、練習所としても充分だね」と答える。実は、少々
心配だった。床はカーペットであるし、周囲は和室だけに障子であるし、音が廻るのかなと思っていた。とこ
ろが杞憂に終わった。先述したように、天井が高いと云うのが幸いしたようだ。だから音がしっかりと伝わっ
て来ていたわけであった。「天井が高いからだね!」。
 これまで私の中にあったヴィオラの音、特にG線(3番線)のそれは、極端な言い方をすれば、鼻をつまんで
会話をしているような音のイメージがあった。しかし、この楽器には、それが全く感じられなかった。名器と云
われる領域に位置づけられる一品に違いないものであろうと思えた。
 調整がチェロと同じ、詳しくは1オクターブ違いのそれであるために、従兄弟もチェロの曲をよく演奏する。
「次ぎにこの曲を」、「ピアノがあればよいのですが」と云いつゝ弾き始めた。シューベルトの「アルペジョーネ
・ソナタ」である。たしかにね。僕がピアノ弾ければ良かったね。第一楽章のテーマを少しゆったり目のテンポ
で。本当に良い音だ。ピアノが無いので、頭の中にその音を重ねて演奏してくれて居るわけで、大変だと思
いながら引き込まれていった。この曲は、私も大好きな曲で、所謂ミミタコになっていて、楽譜は読めないも
のゝピアノパートを結構憶えている。従兄弟の演奏に連れて、私の頭にピアノが鳴っていた。ピッチカートの
部分にさしかかった、彼は何事もなく弾いている。私もピアノが鳴っているので、頭の中でソナタになってい
る。真に初めての経験であった。メロディーだけで構成されている曲ならばこのような思いは無くて済む。
 <オーケストラ マイナス ONE> などという、コンチェルト練習用のCDなども出ているが、これなどもたゝ聞い
ているだけだったら、なかなか音楽にはならないであろうと云う同じような思いにかられた。 

 「作曲家が作曲をするときに、どの様な手順で進めていくのか理解していないが、我々美術の方では、色に
関して云えば明度・彩度・色相を組み合わせて制作していくし、骨格としてのデッサンがある。三要素の一つ
明度のみでも一応表現は出来る。しかし複雑多伎にわたる表現でその巾は大きく広がる。
二重奏あるいはコンチェルトなどの片方の楽器の音を抜いてしまった状態を、美術表現に置き換えるとどの
ようなものに成るのであろうか、リズム、メロディー、ハーモニーと云うやはり三要素の中の一つでも美術と同
等に表現は出来る、しかしソナタという楽曲で片方の音が無いと云うことはやはり構造的な次元で在るわけ
で、美術の方で云えばデッサンが壊れてしまったのと同等に考えられる。」てなことを思いながら、頭に再現
されるピアノの音を手助けに、従兄弟の「アルペジョーネ」に酔いしれる事が出来た。
それによって、シューベルトの音楽制作の秘密を若干ながら垣間見たのであった。

 フォーレの「エレジー」を所望すると、思い入れ一杯の名演奏を披露してくれた。
教室のメンバーにも、従兄弟の感性とこの楽器の持つ神通力をジャンルは違っても分け与えられたかなと思
っている。

 教室のメンバーで茶の湯を修めた方が、集まった皆の為に、お茶を点ててくれ、従兄弟を交えてしばしの
時を過ごし、素敵なサロンとなった。従兄弟には本当に感謝している。こんな機会をまた持ちたいものだ。

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